【父の詩】より 「一乗寺下り松・洛北記」父が最後に望んだ地の由縁

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一乗寺
下り松にて
我れ立ちて
家族の絆
身にしみじみと

平成二七年十一月三日

「父の詩」生きるチカラのプロジェクト

この企画は、父親がガンとの闘病中でも「謳歌」する生き方を実践し、86歳まで誇りを持ちながら前進したことを伝えるために始まりました。彼の晩年には腎臓病、心筋梗塞、前立腺がんとの闘いがありましたが、謳歌の精神を貫き、その生き様を示しました。
この企画の目的は、父の詩や文章、彼との出来事を通じて、家族の絆や人生のあり方について示唆を提供することです。彼の「謳歌」するメンタリティは同じ病気を抱える人々やその家族にとって支持となり、勇気や力を与えるでしょう。この企画が多くの人々にとって励みや支えとなり、家族の絆を深める一助となることを願っています。

この詩は2015年11月3日の文化の日に、父とともに家族で京都・洛北へ旅行した時に一乗寺の下りへ訪れたことを書いています。父が行きたいと望んだ場所が一乗寺周辺でした。
そんな父とボクたち家族での日帰り旅行。両親とまだ結婚する前のsayakaも一緒でした。

旅行先は父の状態や車椅子のことも考え、いろんな旅行先の候補がありましたが、父の強い希望で一乗寺へ行くことになりました。

一乗寺の思い出

ボクがまだ社会人になりたてのころ、営業で一乗寺へ行くことがありました。
営業先で人と会いその帰りに立ち寄ったのが一乗寺駅近くにあった中古ファミコンショップ。
当時はファミコンでゲームすることがボクの娯楽であり息抜きとなっていて、中でも信長の野望というゲームシリーズにはまっていました。

ファミコンショップの店に入って中を覗くとまだプレイしたことのない信長の野望のシリーズが!!
思わず買ってしまいました♪
家に帰ってからワクワクする思いでゲームカセットをゲーム機に差し込んでみると・・・

「ん?? まったく映らない・・・」

実はボクが持っていたのはファミコンのゲーム機本体ではなく、テレビと一体型となったものだったんですね。
色々調べてみたところ、せっかく買ってきた信長の野望は、テレビ一体型のものとは規格が合わずゲームができないという事実が判明し、非常に残念な思いをしていました。

後日、父と会ったときにたまたま一乗寺へ仕事で行ったことを話す機会があり、その際に笑い話のつもりで一乗寺で買ってきたファミコンのゲームソフトの規格が違っていてできなかったことを話しました。
すると父が「そのレシートがあるなら事情を話して返金してもらいに行ってくる」と言いました。
ボクはとても驚きました。


近所ならわかりますが大阪から京都の一乗寺までですよ?
なぜわざわざそんなことを申し出てくれるのか・・・?
とりあえずボクは父にお願いすると、後日に返金してもらったと言って購入金額の6000円を渡してくれたことがありました。

後にも先にもそんなことがあったのはこのエピソードだけです。

今でも不思議に思います。なぜあのとき父はわざわざ大阪から京都の一乗寺まで行ってくれたのか・・・

今回の一乗寺への日帰り旅行は、そんなことがあってから25年ほど経って父とともに訪れることができた場所。
父もあの日のファミコンのエピソードを憶えていたのかな・・・

もしそうだったらとてもうれしいですね。

一乗寺下り松

今から約1000年ほど前の平安時代のころ、京の都と近江(滋賀)へと通ずる街道にあり、道を往来する人にとって目印となっていました。そして時代とともに植え継がれ、現在の松の木は4代目です。
その昔この地にあった一乗寺にちなんで名前が付けられたそうです。

宮本武蔵の伝説

江戸時代(1603年~1868年)になったころ、宮本武蔵と吉岡一門が決闘した場所として現在に伝わっていることでも有名で【宮本 吉岡 決闘之地】』の石碑が立っています。
一乗寺周辺には宮本武蔵ゆかりの地がたくさんあり、中でも八大神社や狸谷山不動院が有名です。

八大神社には宮本武蔵が刀を両手に持った二刀流スタイルブロンズ像があり、かつて武蔵が吉岡一門との決闘の前に参拝に参ったという逸話が残されています。
狸谷山不動院には武蔵が滝に打たれ修行したという逸話が残されています。

そういえばボクも父も吉川英治の小説・宮本武蔵を読んでいて武蔵について語りあったこともありました。

<基本情報>
一乗寺下り松(いちじょうじ さがりまつ)

住所:京都市左京区一乗寺花ノ木町
アクセス:名神高速道路『京都東IC』から車で約30分
最寄駅 叡山電鉄 一乗寺駅 (西へ600m)
駐車場:周辺にコインパーキングあり

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